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略縁起

 

遠く当時の由来を尋ぬるに欽明天皇八丁卯年初めて唐土より仏像百余体とともに経巻数多く来朝す。時に玉鳳と称する僧侶ありて諸国を回遊し、里村山野にかかわらず衆生を済度し、遂に巡り来て秋田の地に来り、此の所を有縁の地と思いて壱の庵を結びて念仏三昧に入り、その庵を鳳凰庵と名付けたり。それより累代弟子相譲り、この庵を守り衆生を済度せり。

時に養老二年八月行基菩薩仏法繁栄の悲願を立て衆生済度をはかり諸国を回りてこの所に来り当庵に宿れり。是れ正にその月の二十三日に相当れり。依ってその日を祈念し、薬師如来を本尊となせりと、言い伝えられている。秋田県指定重要文化財の一つこれなり。

その後新潟の人、密雲海師縁があって、この地に技を駐め、湯殿山の能代出張所となり真言護摩を焚き、海上安全、大漁満作の祈祷を修した。

その後明治二年に断行された廃仏毀釈の嵐に遇い、湯殿山は羽黒山、月山と共に神社へ転じた故をもってその縁を離れ、市内の名刹鳳来山能代寺の大日如来を本尊に迎え、秋田市上新城の高倉山観音院龍泉寺と合併再興、真言宗湯殿山龍泉寺として現在に至るものである。

高倉山観音院龍泉寺の由緒もまた古く養老年間舎人(とねり)親王の御弟で阿彦三位浮房卿、行基菩薩の御跡を訪ねて諸国を行脚し漸く秋田市上新城石名坂で菩薩にめぐり会い、これを記念して館を作り出家せしと云う。今に残る阿彦の館跡、阿彦の池跡、黒染の桜跡は、その時代より伝わりし跡なり。

その後延暦二十一年慈覚大師もこの地に至れしと云う。ここに禁裏(きんり)御守護の高倉宰相永福卿という人あり、御代官として御下向のみぎり、阿彦三位の御徳を感じ御自身高楽の翁(おきな)、嫗(おうな)の両面を奉納せしと。現在の秋田県指定重要文化財『翁面』これなり。この翁面は羽鳥沼の生面として秋田の昔話に語られている。

この縁と高倉宰相の御依命により高倉山観音院宰相寺と三院称号せしころ、佐竹公御国替えみぎり、佐竹義宜公より寺号は龍泉寺と賜り、以後高倉山観音院龍泉寺と称せり。

その後円空大師が行基菩薩の遺跡を尋ねて当寺に入り、大いに仏徳を感じ、十一面観音菩薩を刻みて収めたり。秋田県指定重要文化財の一つこれなり。

【現在】

この円空仏の重文指定を機に、清助町、下浜町、浜通町、川反町住居の方々により、重文保存会である円空会(えんくうかい)が発足、保存維持に努めている。

また、平成18年より慈燈会(じどうえ)が発足、写経・写仏・全国のお寺詣りなどの活動を行う。

現在は円空会・慈燈会の皆様に支えられ、守られている。

この深く尊い歴史が各方面に広がり、龍泉寺が人々の心の拠り処となることを心より祈る。

住職 祥泉