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タゴールより 平成20年6月20日

Posted by on 2014年4月4日

世の中には素晴らしい格言、名言、美しい詩など、偉人たちの残した尊い教えがたくさんあります。
私はそれらに触れる度に、指針を示してもらったような、私の愚かさを諫めてもらったような、そんな気が致します。

中でも私にとってとても深く心に響く言葉を残された詩人に、「ラビンドラナート・タゴール」という方がいらっしゃいます。
アジア人として初のノーベル賞となるノーベル文学賞を受賞された方です。

本当にたくさん紹介したい詩があります!

先ずは私が最初に出会った詩です。

「あたたを愛することがあなたの負担にならないように。
わたしは勝手にあなたを愛させて頂いているのですから。」

とてもとても心に響きました。
私はつい家族でも友人でも、

「自分がここまでしたのに、どうして分かってくれないのだろう(>_<)」
「自分であればこうするのに、どうしてこの人はしなのだろう(+_+)」

と、何かある度に「~のに」「~なのに」と言っては、条件を付けて愛を押しつけてしまう。
それぞれに価値観や考え方があるのにも関わらず、「自分」を押しつけてしまう。

この詩に出会い、気付きました。

私が捧げる愛、愛する人へ見返りや条件を付けていたということに。
見返りがなければ捧げる事ができないケチな自分に。

愛すれば愛するほどにより多くの条件を付け、より強く見返りを求めてしまう。
でもそれは違いましたね。

そう、勝手に愛させて頂いているのです。

仏教の教えに、
「自利利他(じりりた)」というものがあります。

自利とは、自らの悟りのために修行し努力すること。

利他とは、他の人の救済のために尽くすこと。

私自身、今必死で自らの修行を行っている「自利」の途中です。
これからは、精一杯の「利他」を行っていきたい。

そして私の行う「利他」は、決して見返りを求めない、本当の慈愛の心で行いたい。

そんな風に思いました。

そして、私の「僧侶」としての在り方を示してくれた詩があります。

「ギタンジャリ…神への捧げ歌」の一節です。

「この聖歌(うた)や 合唱や数珠の音をやめなさい。
扉を閉め切った寺の 寂しい暗い片隅に
お前は 誰を拝んでいるのか?
眼を開いてごらん! お前のまえに
神はいない。

農民が 固い土を耕すところ
道路人夫が 石を割るところ
そこに神は 居られるのだ。
神は日照りにも 雨にも 働く者と一しょに居て
そのお衣は 泥にまみれている。
お前のころもをぬいで お前も
塵だらけの 土へ下りて来なさい。

救い手 それは どこにあるのだ?
われらの主は 喜んで はたらくものの苦労を負(せお)い
いつまでも 吾らと一しょなんだよ。

花と香を捨て お前のおいのりから 出て来なさい。
お前の衣が破れ 汚れたところで
それが どうしたというのだ
主に逢い 働き 額に汗を流し
主のみそばに 立とうではないか。」

「合掌や数珠の音をやめなさい。」驚きました。

私が僧侶として一番大切にしていることは、「朝のお勤め」です。

このときにたくさんの事を祈ります。
「奥様のご病気が治りますように。」
「どうかどうか成佛なさいますように。」
「子供が授かりますように。」

たくさんの方の祈りを朝お届けするのが私の役目だと思っています。

でも、勘違いしたくないのです。
立派な衣に身を包み、上座に座らせてもらい、皆さんからお酌してもらい、私は偉い人間だと思ってしまいそうになる。

それを諫めてもらったような気がします。

私の思う「御佛(みほとけ)」とは、

宇宙からの恵みである「地・水・火・風・空」これらを形にしたものだと感じています。

だから土にまみれ、恩恵を感じた時にこそ、本当に本当に「大日如来」を知ることができるのではないかと思うのです。

私のお寺では畑も耕しますし、マキ割りもします。
春には畑を耕し、夏には草むしり、秋には落ち葉拾い、冬には雪かき、四季折々の恵みが私を育ててくれます。

そう、私の着る衣は立派なものなんかじゃなくて、土にまみれて泥だらけになって、雨に降られて太陽に照らされてそして祈るためのものなのだと思うのです。

真言宗の教えに「六大」があります。

六大とは、森羅万象をあらしめている最も根源的な本体を指し、「地・水・火・風・空・識」の6つの「種」でいい表されるといいます。

これらが組み合わされて大日如来となり、宇宙や世界となり、人間となるのです。

この六大を、物質と精神に分けて考えた場合、
「地・水・火・風・空」の五大が物質に相当し、
「識」が精神に当たります。
これが分離して別々に存在するわけではないのです。

疲れたときにふと薫る沈丁花の香りの爽やかさについ微笑んでしまう。
哀しいときにふと目に入る桔梗の凛とした美しさについ背筋を伸ばしてしまう。

泥まみれになって採ったジャガイモの美味しいことよ!!
背中を筋肉痛にして割ったマキの暖かいことよ!!

宇宙の恵みは本当に本当に有難いです。
大日如来の光は本当に尊いです。

「地、水、火、風、空」

これらが私という人間を作ってくれているのです。
そしてこれらが、私の心「識」を育ててくれているのです。

生きる上でこの教えに出会うことができてよかった。

そして、この若輩者の法話を聞いて(読んで)下さって、本当にありがとうございます。
あなたに読んでもらうことができて本当に嬉しいです。

心から感謝申し上げます。

是非今度お参りくださいね(*^_^*)

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