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梅じいさん 平成21年9月5日

Posted by on 2014年4月4日

「ごふぃぐえんけれ~」(五百円下さい)
毎年、夏の始まりの合図がこれです。近所のおじいちゃんがビニール袋いっぱいに梅の実を詰め込んでやって来ます。
白いタンクトップにステテコ、背中を曲げて梅いっぱいのビニール袋を右手に掲げやって来ます。

「家の庭になる梅はまんつまんつ、こでらんね!」(私の家の梅の実は最高においしいよ)とのこと。

我が家のおばあちゃんは
「いつもいつもありがとね。ありがとね。はい五百円。」
と、こちらも背中を丸めてお支払いします。

ただ、我が家のおばあちゃんは少し梅にこだわりがって、この辺りの物はお口になさらないのです・・・。
(ナミエ83歳)
こちらから梅を頼んでいないのにも関わらず、「ありがとね。ありがとね。」って五百円と、あわよくばお菓子や赤飯まで添えてお支払いするのです。

近所の繋がりってすごいですね。

そうやって夏を迎えておりました。
故に「梅じいさん」ということになります。

私が修行から帰った年、あっというまに夏を迎えてしまいました。
毎年恒例の梅じいさんがやって来ない、とふと思い、おばあちゃんへ聞くと
「ああ、梅じいさんな、梅じいさん 死んでしまった。」
それはそれは驚き、どのようにして亡くなったのかを聞くと、
「ああ、梅じいさん、食べるものなくなって、飢えて死んでしまった。」

今日21世紀ですよ!
ダイエットやエコが流行っている現代ですよ!!
飢え死にってどういうことでしょうか。

食べるものがなくなってお腹が空いて空いて動けなくなってそして死ぬということですか。

私はこのとき強い衝撃を受けたのを覚えています。
梅じいさんは唯一の収入源の梅を売ることが出来ない冬に餓死してしまったのです。
梅を売ることができなくて飢えて亡くなってしまったのです。

我が家のおばあちゃんは五百円を施していたのですね。
「これできちんと食べて生きて下さい。」
と家族以外でできる精一杯の施しをしていたのですね。

私はこの梅じいさんの死がきっかけとなり、絶対に自分の周りで苦しむ人を見かけたら何か少しでもできることをしなければならないと思うようになりました。
私自身まだまだ小娘で若輩者で手助けをするとか、人を救うとかそんな大きなことはできないけれど、精一杯にできることはしなければならないと決意致しました。

それから今までたくさんの方とお逢いし、接する機会に恵まれました。

パチンコで給料を使い切ってしまった人、
「助けてけれ~」
の言葉に
私は愛情いっぱいのおっきいお握りを届けました。

御両親の介護でどうしようもなくなってしまった人、
「もうだめかもしれない。」
の言葉に
私はありったけのお金を差し出しました。

うつ病で夜一人で過ごすことが苦しい人、
「・・・。」
無言の寂しさに
私は持てる時間を使い一緒に過ごしました。

私なりの精一杯でもそれはそれは微力で、結局その苦しむ人のために何もして差し上げられなかったと
気付きました。
そして、自分という無力な存在だけが浮き彫りとなって現れました。
愚かで情けない独りよがりの自分が見えたのです。
人の為と書いて偽りとはよくできたものですね。

私のすることすべて間違っているのかな、結局悪影響だったのかな、そんなことばかり思いました。

人は正しいことを言います。
「一時的に手を差し伸べたって一生支えてあげられる訳ではないでしょ?中途半端な優しさは残酷なん
じゃないかな。」
私もそう思います。
ただ、正しいことだけで今苦しい人は救われるの?
本当に正しいことって何かな?

こういうときには朝のお勤めでじっくり考えるのが私にできることです。
御本尊様の「胎蔵界大日如来」の前でじっと禅定に入ると、
外の喧騒が遠くに聞こえ風の音とさらさらという木のざわめきが耳に入ってくるようになります。
やがてその音すら無くなったとき、

「大慈大悲」という胎蔵界大日如来の表す尊い密教の教えがふと浮かびました。

大慈大悲
大いなる慈しみ、大いなる悲しみ

大きな悲しみを受け入れた上でなければ真実の大いなる慈しみを持つことや与えることはできないのだよ、と御本尊様に言われたような気が致しました。

そう、私のしたことは間違いなのかもしれない。
大きな失敗で正しい行いでは無かったのかもしれない。

でも今の冷酷なことの多い時代、私は間違ったっていいじゃない、なんて思ってしまいました。

私は家族が病気でどうしようもないときもありました。
お金が無くて苦しい苦しい時を過ごしたこともありました。
そして寂しい悲しい夜を眠れず過ごしたこともありました。

その苦しみなら分かる、その悲しみならよく分かるのです。

私は彼女たちのその苦しみを受け入れ、とっても微力だけれども精一杯の慈しみの気持ちで接したいと願うのです。
それは例え大きな間違いであったとしても

そのときのその間違いが
慈しみのうちにあるならば
私は間違う方を選びたい。

そんな風に思いました。

― ケントMキース「逆説の十カ条」より ―

People really need help, but may attack you if you do help them. Help peopleanyway.

人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。
それでもなお、人を助けなさい

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