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月の兎 平成23年10月6日

Posted by on 2014年4月4日

夏も終わり、すっかり秋になりましたね。
爛々とした夏の次に来る秋は、日も短く肌寒くなって、何だか寂しい気持ちになってしまいます。

これからは金木犀(キンモクセイ)の柔らかな薫りに包まれて落ち葉拾いが私の日課になることでしょう。

そんな寂しい気配の秋ですが、秋には十五夜がありますね。
今年2011年の十五夜は9月12日(旧暦8月15日)でした。

十五夜とは何か知っていますか??

「十五夜」は、中秋の名月を鑑賞する他、これから始まる収穫期を前にして、収穫を感謝する「初穂祭」としての意味あいがありました。
9月頃に収穫される「芋」をお供えすることから「芋の名月」とも呼ばれています。
現在では、満月のように丸い月見団子と、魔除けの力があるとされたススキを伴えるのが一般的な「十五夜スタイル」となっています。

ススキの葉には魔除けの意味があるのですね。

月を見ているとふと取り込まれたようになり、時間を忘れてただぼーっと眺めてしまいます。
そうすると本当に月の中に「兎」が見えてきます。月って何だか神秘的です。

月の兎、なぜ兎が月の中にいるか知っていますか???

その答えはインドの古い説話が元になっているジャータカ物語の中に出てきます。
今日はそれをご紹介したいと思います。

まずは、ジャータカ物語について。
ジャータカ物語とは、御釈迦様の前世、現世、来世やお弟子さんなどのことについて書かれた物語です。
古代インドの伝説の話しが元になっていて、そこに仏教的な内容が付け加えられています。
この物語は世界文学にとっても影響を与えていて、「イソップ物語」「アラビアンナイト」日本では「今昔物語」の元になっているとも言われています。

それではひとつ、私がとっても大切にしているお話「月の兎」のお話をさせて下さい。

今は昔、天竺(インド)に兎・キツネ・猿の三匹の獣がいました。

「私たちは前世での行いが悪く、他人に施さなかったので、地獄に落ちて長い苦しみを受け、それでも罪が消えなかった為に、このように賤しい獣として生まれてきた。これからは、この身を捨てる覚悟で善行を行おう。」

三匹は熱心に仏教の修行をし、互いに実の親や兄弟のように敬い合い、自分のことを顧みずに他の二匹のことを優先しました。

須弥山(しゅみせん)に住まう帝釈天が、三匹の様子をみてひどく感心しました。
「獣とはいえ誠に殊勝な心掛けである。人間として生を受けた者でさえ、無益な殺生をしたり、他人の財産を奪ったり、自分の父母を殺したり、兄弟で敵視し合ったり、誠にひどい有様である。ましてやこのような獣が本当に仏の心を抱いているとは正直言って信じがたい。どれ、一つ試してみよう。」

帝釈天はボロボロの衣を纏い、弱々しい老人の姿になって三匹の前に現れました。

「わしはもう疲れ切って、もう力尽きてしまった。もう立つことはできないだろう。そなたたち、もしよければ少し食べ物を恵んではくれぬだろうか。」

力尽きて倒れた老人の姿で三匹に伝えると、

「喜んで食べ物をお持ちします。」
三匹は修行ができる喜びに、嬉々として食べ物を探しに出かけました。

猿は木に登り、栗・柿・なしなどの木の実をたくさん採ってきて老人に差し出しました。

キツネは川に入り、たくさんの魚を取って差し出しました。

数日後老人は
「ありがとう。本当にありがとう。一時はもう生きてはおれぬかと思ったが、こうして少し元気になったよ。ありがとう。ありがとう。」

元気になった老人の姿に皆、大喜びしました。

しかし、兎は心から喜ぶことができませんでした。
兎だけが食べ物を差し出すことができなかったのです。

目を大きく開いて耳を長くし、足を踏ん張って東西南北求め歩きましたが、食べ物を見つけることができませんでした。

兎はただでさえも人や獣に襲われやすく、そう容易には探し出すことはできなかったのです。

そうして兎はある日、決心をしました。
老人の元に行き、こう言ったのです。

「わたしはこれからおいしい食事を探してきます。皆で焚き木を拾って火を起こし待っていてください。」

猿が枯れ木を拾い集め、キツネがそれに火をつけて、ちょうど良い加減になった頃、兎が帰ってきました。

そして、いつものように兎の手には食べ物がなかったのです。

老人と2匹が訝しげに兎を見ていると、

「私には食べ物を持ってくる力がありません。それでもあなたにはお腹一杯に食べてもらいたいのです。ただ、私は一つだけ、たった一つだけとっても美味しいものを持っています。今日はどうかそれを召し上がって下さい。」

「どうか、この身を焼いてお食べください。」

そう言うと、兎は火の中に踊り入りました。

帝釈天は元の姿に戻ると、全ての生き物達に兎のこの行いを見せるため、焼け死んだ姿を月の中に写したのです。

今でも月の表面に雲のようなものがあるのは、この兎の焼け焦げたときの煙であると言われております。

この兎の老人を思う心は、慈悲行の最たるものです。

「思いやりの心」
「本当の優しさ」

最近よく耳にします。
戦後、物が不足していた時代には、「より便利なものを」「より高価なものを」と、物で豊かさを得る「物の時代」でした。
が、しかし、現在は町中に物があふれかえり、物が人々を幸せにさせることがむずかしくなってきています。

21世紀、物から心へ。そういった動きがあります。
物では豊かに生きることができないと気付いたのです。
そして本当の幸せとは何か??心の豊かさとは何か??
そういった心の在り方が今の時代大切なものとして捉えられるようになってきています。

そう、今は「心の時代」なのです。

「思いやりの心」って何かな。
精一杯相手を思って接しても、どこかで自分の利益を考えてしまう。

「本当の優しさ」ってどんなことかな。
持てる限りの優しさで接しても、どこかで見返りを求めてしまう。

私はそんな愚かな自分の姿を月に写し、兎から慈悲行を思い出させてもらっています。

難しいことです。
でも月の兎に出会えたことで自分の愚かさと、向かうべき心の道を見出せたような気がします。
それだけでもよかった。
今、ここから始めたい、そんな風に思うのです。

これから月を見たときにはこの兎の尊い慈悲行のことを思い出して下さい。
きっと本当に大切なもの、大切にするべきものが見えてきますよ。ね(*^_^*)

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